VISION

歩み

Our History

創世記

昭和28年に、創業者の故・廣瀬日出雄が公⽤貨物の運送から内外の通関に関わる各種ご相談を受けて、皆様のご要望に応えるサービスを提供し⼤変な評価を各⽅⾯から頂いたのが、「⽇成」の通関事業スタートのきっかけとなりました。

事業展開

戦後⽇本が発展途上国を対象に開始したODAによる農業⽣産⽤の各種機器、病院⽤の医薬品、 医療器具等々の海外向け輸送を⼿がけることとなりました。 ⼜、当時の⽇本は「輸出⽴国」を官⺠挙げて標榜しておりましたので、海外で⽇本からの輸出品の展⽰会が頻繁に開催されました。 これらの展⽰品や資材の輸送や通関が出品前のみならず、展⽰会の終了後の⽇本への返送等で賑わいました。

物流⾰命への素早い対応コンテナ時代の到来

昭和42年に、⽶国の⼤⼿海運会社「マトソン」が品川埠頭に⽇本では初の「コンテナ船」を横付けしました。 この出来事は第⼆の⿊船到来のような⼤きなインパクトを⽇本の海運界や輸送業者に与えました。 物流⾰命の始まりでした。
「⼤量の貨物をより速く、より簡便に、より安く」運ぶ時代の到来となったのです。 コンテナ輸送時代の到来です。
「⽇成」はこの時代の潮流の⼤きな変化をいち早く察知して、 本社を従来の深川から「品川」に素早く移転して対応しました。
⽇本の海運会社と業務提携し⼤量貨物輸送に乗り出しました。このコンテナ時代の到来によって、 貿易港は横浜だけでなく、⼤井埠頭、⻘海埠頭が重要な貿易港として登場してきたのです。

国際物流の変化と⽇本の後退

⽇本の貿易収⽀の⼤幅⿊字が国際的な問題となり始め、⽇本も輸出振興から輸⼊促進の時代に⼊りました。 ⽇本製品の海外での展⽰会に代わって外国製品の⽇本での展⽰会が頻繁に⾏われるようになりました。
⽇本製品の海外⽣産が盛んとなり、それにつれて⽇本の港の国際競争⼒も低下始めました。
⽇本の船会社の営業本部がシンガポールや⾹港に移転したり、韓国の港の賑わい、通関業務におけるIT導⼊の先⾏等々により、⽇本の港はメインポートからサブポートへと変化しております。

物流の変化に伴う「⽇成」の新たなる挑戦

この新しい物流の国際的変化に対応して、「⽇成」は物流の視点を⽇本中⼼から国際的な⽣産基地、消費国を基点にする「現地主義」に転換して⾏きます。更に、⽇成のサービスを単なる物流に留まらず、 その上流の製造業、下流の市場、マーケットにまで展開し、⼱の広いサービスを提供致します。
しかも、お客様の便宜とご要望を第⼀に考え、製造と市場を結ぶ中間の全てのサービスを⽇成が⼀貫して請負う 「ワンストップ・サービス」を⽬指します。中国を製造拠点としての重要性だけではなく、 巨⼤な市場としての急速な成⻑に着眼して、また経済発展が顕著なASEAN諸国にサービスの展開を図って⾏く所存です。 皆様のご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。